すぐに思いつくのは美味しい珈琲を入れる事、あとは写真を撮る事。
だんだんと良い意味で大人になってきて、これはもう自分がやらなくてもよいな、頑張らなくてよいな、ということが増えました。
珈琲を入れる事や、写真を撮る事。
もちろん今でも好きですが、自分よりももっと情熱を持っていて、もっと美味く・上手くやってくれるなら、自分はそれに甘えよう。そんな気持ちです。
それは別に「諦めた」とか「情熱がなくなった」とかそういうことではないと思っています。
段々と、どんどんと、自分の中でやりたいことや価値観が純化されていって、自分のやるべきことや情熱を注ぐべき先に自覚的になっていくにつれ、手放せることも増えていくということでしょうか(とはいえ、煩悩は百八つどころではありませんからまだまだ欲望まみれですが(笑))。
この日の原田郁子さんのライブは、
ああ、こんな人達がいるならもう自分は音楽で何か表現するとかってのはやらなくてもいいなあと思ってしまう様な空間でした。
素敵だったなあ。だって音楽を演ってない自分がこんなふうに思うんですから(笑)。
1件のコメント
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すごーくわかります。
ここ最近、いろいろなものがゴッソリと落ちて、本当にどんどんと純化されている気がします。
もっともっと、「執着」をおとして自分の役割をしっかりと果たしていきたいなぁと思います。
ゆっくり、いろいろお話したいなぁ。
>stunさん
かき集めては、手放し、積み上げては、壊す。
陰陽、陰陽ですが、スパイラルの軌道を描きながら少しずつでも前に進んでいると信じたいです(笑)。
そろそろまたお会いしたいですね。